きっかけは幼少の頃
生まれ故郷の京都市内は、季節風の吹く冬が凧揚げのシーズン。それでも、風が弱くて揚がらない日も多かったし、また風が強すぎて回転したり、糸が切れたりすることがよくあった。 その頃の和凧は、長いテープや尾の紐をつけなければ揚がらず、私にはこれが不細工でたまらなかった。子ども心に芽生えた「こんな凧をなんとか改良できないか」という思いが、永年の夢として染み付いてしまったのである。 こんな思いを深層に秘めながら、凧揚げに適した広場の多い大阪府の千里ニュータウンに居を構えたのが30年以上前。丁度、わが子も凧揚げに加われるほど成長していたので、子どもと一緒に凧揚げを楽しみたいという思いが深層から湧き出したのだった。
ゴミ袋の凧が飛ぶのを見て
そして奴凧を買ってきて揚げたり、自分でハトの形を真似た凧を創作して揚げてみたりもした。奴凧は長い尻尾をあちこちにつけて何とか揚げることができたものの、ハト凧は、何をどこにつけても全く揚がらなかった。このとき同じ広場で、黒いポリエチレンのゴミ袋で作った魚のエイに似せた創作凧が揚がっているのを目撃。強烈な劣等感と「よし俺も創作凧を揚げてやろう」という思いを同時に抱いたのだった.。
飛ぶには訳がある!
創作凧を作るには、凧の理論を知らなければならない。幸い仕事の関係で専門が電気でありながら流体力学の知識を持ち合わせているので、余暇を利用して創作凧を完成させようと決心。まず、伝統凧を理論的に追求することから始めたのだった。 この理論のお陰で、逆に伝統にとらわれない形の凧が自由に作れるようになった。そして、会社の同僚にもこれを教えて、社内凧揚げ大会を開催するなど、新たな楽しみ方も知ることができた。
努力の成果がこんな形に
伝統にとらわれず作成した創作凧がマスコミに取り上げられて出版社が知るところとなり、『凧の科学』という本を1980年に出版。この本は英訳されてNew York Academy of scienceから本の賞ももらったのだった。
”飛び”にこだわる探究心はとどまる所を知らず!
この受賞に満足して、やり残した『従来の凧の欠点をなくすための理論の構築』を20年ほど放置していた。これを本気で始めたのは、会社専務取締役の激職を退いて顧問になった1997年からである。「今度は理論をより完全なものにしたい。そのためには、飛行機の理論である航空力学をマスターしなければならない」と考え、加藤寛一郎先生他の書かれた「航空機力学入門」(東京大学出版会)を読んでいるとき、一つの発想が生まれた。 「凧も飛行機と同じように水平尾翼をしっかり付ければ、失速状態で風圧を利用して揚がる伝統凧ではなく、飛行機と同様に揚力を利用して真上に揚がるものができるはずだ。こうなれば、飛行機の理論が応用でき挙動が完全に解析できる。糸も突風による引張りを逃すようにすれば、強風下でもミシン糸のような細い糸が使えるので、伝統凧のように水平方向に遠くに流されることなく真上に揚がる」。 さらに「最近はパソコンとプリンターが普及しているので、凧の形も鳥や蝶・魚・動物の顔をパソコン上で描いて、プリンターで印刷すれば美しい形や画の凧が作れる。これを飛ばして自分の力作を人と競い合うことは、楽しいことに違いない。また、理論は物理学の広範囲の専門分野を含むので、凧を実験モデルとした絶好の教材になる。さらに鳥の凧を飛ばすと鳥が攻撃に来たり偵察に来たりする形で、鳥と遊ぶことができる。鳥や蝶の飛ぶ原理を知れば、学生は自然に畏敬の念をいだき、環境問題を考える一助にもなる」とも考えた。 これらのコンセプトをもとに、飛行理論と新材料を利用した凧の作り方を多くの友人の協力を得て練り上げたのが、バイオカイトである。